2024年03月18日

朝の挨拶 「おはよう」 の意義


  「おはよう」 という朝の挨拶は、たった四文字の簡単な言葉だが、実は、 「自分の心を開いて相手に向き合う」 ための大切なひと言です。

 この 「おはよう」 という朝の挨拶は、あいさつする相手に対して、次の三つの意味が込められた言葉です。

 1. 相手との良好な関係を願う (今日も一日、よろしく)
 2. 相手の存在を認める (あなたは、私にとって大切な人)
 3. 相手の幸せを祈る (今日も一日、どうか元気で)

 外国人が、 「握手」 をするのは、 「私はあなたに対して敵意を持っていません」 という意思表示の現れです。

 「親しき仲にも礼儀あり」 という諺があるように、まずは、夫婦、親子の間で朝の挨拶を心を込めてやりましょう。

  


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2024年03月04日

琴瑟 (こきん) 相合す


 ある日、新幹線の車中で、こんな光景に出会いました。一組は、会話も弾み、笑顔の絶えない夫婦でした。もう一方の夫婦は、終始会話もなく、三時間の間に 「おい、お茶」 の一言だけでした。楽しいはずの旅なのに、これでは何のために二人が連れだってきたのか不思議でした。

 他人の私がとやかく模索しなくても、人それぞれであって、夫婦がお互いに納得さえしていれば、それでいいのではないかと思ったのですが、ふと 「幸せな夫婦とは」 一体どんな状態をいうのだろうかと考えてみた。

 もし仮に、男性が亭主関白ずらして、 「何でも自分の思うようにできる」 「自分さえよければ」 と思っているとしたなら、相手の妻はエライ迷惑に違いない。きっと我慢に我慢を重ね、 「いずれ、いつかは・・・・・・」 と、心に期するものがある筈です。

 仲のよい、幸せな夫婦とは、何でも気が許せ、会話も弾み、相手の傷みがわかり、思いやりのある関係が築かれていることではないでしょうか。

 「琴瑟相合す」 とは、夫婦の心が互いに調和して、仲睦まじいことをいいます。仲のよい夫婦は、誰から見ても美しいものであり、お互いの思いやりによる共同作業が生まれるものです。

  


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2024年02月19日

 「心ある人」 の集まり


 昔から  「心ある人」 「心ない人」 という言い方をします。  「心ある人」とは、よい心を持っている人で、自分以外の人々を思いやる心を持っています。具体的には、

 ・ 家庭の平穏を心がける人
 ・ 周りの人々に心配りができる人
 ・ 寛容と反省の心を持っている人     です。

 「心ある人」 の集まりこそ、幸せな家庭を作る原点であり、まず夫婦から心がけねばなりません。

 「心ある夫婦」 から、やがて温かいほんわりとした家庭が築かれます。そんな家庭で育った子供たちは、やがて社会の人々とも良好な人間関係を築いていくに違いありません。

  


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2024年02月05日

本当のバレンタインデーは


 2月14日は、バレンタインデーですね。どうして日本人は、クリスマスのケーキと共に、西洋カブレするのでしょう。もらって悪い気はしないが、年々手が込んできて全く商売のネタにしている気がする。

 日本では、女性が好きな男性にチョコレートを贈る日になっているが、起源は1700年以上前のローマ帝国時代にさかのぼる。

 当時は戦争中で、結婚が禁止されていて、かわいそうに思ったキリスト教司祭のバレンタインさんが、こっそり結婚式お挙げさせ、これがばれて2月14日に処刑されました。

 しばらくは、司祭を悼む日でしたが、14世紀ごろからは、主に男性が女性に告白し、贈り物をする日になりました。

 日本では1936年に、神戸の洋菓子店のオーナーが、在日外国人の男性向けに、英字新聞に 「バレンタインデーにチョコレートを」 と広告を出したのが最初と言われています。

 58年にチョコレートメーカーが、デパートで 「バレンタインデーフェア」 を始め、全国に広がりました。

 男性から告白するのが当たり前だった当時、 「女性が男性に年に一度、愛の告白をする日」 とPRしたのが受けて、女性誌がごぞってとりあげ、男女逆の構図が定着したのです。

 果して、この歴史を知って贈っている人が何人いるのでしょう。

 2月3日の日経新聞夕刊から転掲しました。

  


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2024年01月22日

スポーツマンシップ


 スポーツマンシップとは、正々堂々と公明に勝負を争う、スポーツマンにふさわしい態度をいう。ライブドアのホリエモンも、少しはこの考え方を持っていたら、世間を騒がせることはなかったと思う。

 日が経つにつれ、化けの皮が剥げてきた。結局は、会社を大きくする (企業価値を高める) のでなく、私腹を肥やすためだけであったような気がする。

 彼には、心を正す師がいなかった気がする。2月1日から始まった私の履歴書にジャック・ニクラウスが執筆している。

 彼の師は、勿論お父さんである。ゴルフの技量よりもスポーツマンシップを教えている。

 その一文を・・・・・・
  『いいかい、ジャック。スポーツをする者にとって、最もつらいのは負けることだ』  『しかしジャック。その時、堂々と勝者を称えることを決して忘れないように。これこそがスポーツマンであり、スポーツの醍醐味なのだから』

  「11歳の時、私は15番ホールで2打目をミスした。8番アイアンが放ったボールは打手の意図に反して、グリーン横のバンカーに吸い込まれてしまう。直後、思わず手にしていたクラブを放り投げると、父が私の元へ駆け寄ってきて、こう言った。『二度とそんな真似をしないことだ。金輪際、絶対に。もし、繰り返したらゴルフはもうできないと思うように』

 父は単に、私の短気を叱ったのではない。ゴルフとは誠実さ、尊敬の念、人間性、そしてスポーツマン精神を体現する競技なのだ。」

  ”この子にしてこの親あり” とつくづく納得し、真の師を持たねば本物の人間にはなれないんだと確信した。

  


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2024年01月08日

自分の良心に照らして


 最近、 「個人の自立」 ということが、よく言われるようになってきました。

 これは単に、自分の思うとおりに生きるということではなく、自分の心の中にきちんとした基準を持って、それに従って自分を律して生きるということです。

 「自律」 は 「自立」 につながります。自分を自分で律していくことがモラルの原点ではないでしょう。

 自分のとるべき行動について迷いが生じたときには、少し立ち止まって、自分の心に問いかけてみてはどうでしょうか。

  ”自分の行為を、場所によって左右されていないでしょうか”  ”どのような場合でも、自分が正しくないと思うときは、しないという生き方をしているでしょうか”

 社会の一員として、自分の良心に照らして恥ずかしくないかどうかを、あらためて心の中でよく考えてみることが大切です。

 それが道徳の実行の第一歩になるのではないでしょうか。

  


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2023年12月18日

一人ひとりのモラルが社会を変える


 「ひきょうなふるまいをしてはならない」

 「弱い者いじめをしてはならない」

 「他人に迷惑をかけてはならない」

 こうした社会の基本的なモラルは、家族や身近な社会の中で、わかりやすい言葉や物語などを通して伝えられてきました。

 そのようなしつけを受け、さまざまな経験を積むことによって、子供は善悪の基準を自分の心の中につくり上げ、自分を律していくことができたのです。

 自分を律するというと、私たちは自分の意欲を抑え込むとか、自分らしさがなくなると受け取りがちです。しかし、決してそうではありません。

 やすきにつきやすく、周りの情勢に流されやすい人間だからこそ、善悪の基準をきちんと持ち、それに基づいて自分で自分を律することによって、より自分らしさを発揮していくことができるのです。

 「みんながやっているから、これぐらいのことはいいだろう」 から 「みんながやっているけれど、やってはいけないことは、やらない」 という心の姿勢を養い、一人ひとりが努力を積み重ねていくことが、子供たちにもよい影響を与え、社会全体をよりよい方向へ変えていく力になっていくのではないでしょうか。

  


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2023年12月04日

親孝行の原点


 中国の古典『孝経』の中に、 「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷 (きしょう) せざるは、孝の始めなり」 とあります。

 これは 「私たちの髪の毛一本、皮膚一片のすべてが、親からいただいたものだから、傷つけたりしないことが、孝の始めです」 と教えています。

 言いかえれば、私たちが今ここにこうして命を授かり存在しているのは、すべて親が生み育ててくれたお陰ですから、その恩を感じることの大切さを言っているのです。

 これは ”親孝行”に関する、昔からの教えの基本で、時代がどのように変わろうとも、不変のものです。

 又、 「子を持ってい知る親の恩」 といわれるように、自分が親になって子を育ててみて、 「これは大変な苦労だ。自分も親に大きな苦労をかけたのだなあ」 と、初めて親のありがたさと、その恩を感じるものです。

 親孝行の基本は、まず親は生命の源であり、そして子を思う気持ちの強さを知り、感じて、その恩に感謝する気持ちを、自分の心の中に育てることです。

 子を思う気持ち、即ち ”親心” は、思いやりの心です。その思いを感じられるかどうかが親孝行をする原点です。

  


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2023年11月20日

子育ては ”親育て”  ”心育て”


 親は、最初から親だったのではありません。日々子供と向き合っていく中で、子供と共に学びながら親になっていきます。

 友達の家に遊びに行ったとき、部屋の中でふざけて走り回っているうちに、花びんを割ってしまいました。家に帰っていつもより元気のないことに気づいた母親は、事情を知り、いっしょに謝りに行きました。

 そのお母さんの思いは、子供が悪いことをしたとき、親は親として責任をとる姿を子供に見せることが大切だと思ったからです。

 親は子を育てますが、親も子によって親として成長するチャンスを与えられるといえるでしょう。

 親は子の失敗にねばり強くつきあい、そのつど親としての自覚と、子供とのきずなを深めていくことが大切です。

 子育てを通して、親も子も心が育つ―———まさに子育ては ”親育て”  ”心育て” といえるのではないでしょうか。
  


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2023年11月06日

きめこまやかな観察


 言葉というのは、コミュニケーションの上で、重要な役割をはたしているのは、いうまでもありません。けれども人間のコミュニケーションは、相手の表情、視線、動作、姿勢など言葉以外のものも含まれ、そういうものから、相手をうかがい知ることもできます。

 ある洋菓子店を営んでいるお母さんは、次のようなことを語っています。 「店が忙しく、子供とのふれあいの時間が十分に持てない私は、子供が帰宅したときに、店の中を通過する、ほんの少しの間、子供の表情や歩き方、声の調子の変化を見逃さずに、注意しています。そこで『どこか、何かヘンだ。いつもと違う』と感じたときは、仕事の合間をぬって、後でじっくり子供と対話するようにしています」

 このきめこまやかな観察眼は、母親ならのものです。まだ大人と違って、不安定な心理状態が続く子供に対しては、言葉以外の何かをつかむ意味は大きいのです。

 よく、忙しすぎる両親なのに、子供がすばらしく成長している話を聞きますが、忙しさの中でも、子供に目をかけることを忘れてはいけないことを物語っています。

 教育の源泉は、決して放任ではなく、目をかけ、心をかけることなのです。

   


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