2019年02月18日
きめこまやかな観察
言葉というのは、コミュニケーションの上で、重要な役割を果たしているのは、
言うまでもありません。
けれども、人間のコミュニケーションは、相手の表情、視線、動作、姿勢など
言葉以外のものも含まれ、そういうものから、相手をうかがい知ることもできます。
ある洋菓子店を営んでいるお母さんは、次のようなことを語っています。
「店が忙しく、子供とのふれあいの時間が十分に持てない私は、子供が帰宅したときに
店の中を通過する、ほんの少しの間、子供の表情や歩き方、声の調子の変化を見逃さずに
注意しています。そこで『どこか、何かヘンだ。いつもと違う』と感じた時には
仕事の合間をぬって、後でじっくり子供と対話するようにしています。」
このきめこまやかな観察眼は、母親ならではのものです。
まだ大人と違って、不安定な心理状態が続く子供に対しては、言葉以外の何かを
つかむ意味は大きいのです。
よく、忙しすぎる両親なのに、子供がすばらしく成長している話を聞きますが、
忙しさの中でも、子供に目をかけることを忘れていないことを物語っています。
教育の源泉は、決して放任ではなく、目をかけ、心をかけることなのです。
言うまでもありません。
けれども、人間のコミュニケーションは、相手の表情、視線、動作、姿勢など
言葉以外のものも含まれ、そういうものから、相手をうかがい知ることもできます。
ある洋菓子店を営んでいるお母さんは、次のようなことを語っています。
「店が忙しく、子供とのふれあいの時間が十分に持てない私は、子供が帰宅したときに
店の中を通過する、ほんの少しの間、子供の表情や歩き方、声の調子の変化を見逃さずに
注意しています。そこで『どこか、何かヘンだ。いつもと違う』と感じた時には
仕事の合間をぬって、後でじっくり子供と対話するようにしています。」
このきめこまやかな観察眼は、母親ならではのものです。
まだ大人と違って、不安定な心理状態が続く子供に対しては、言葉以外の何かを
つかむ意味は大きいのです。
よく、忙しすぎる両親なのに、子供がすばらしく成長している話を聞きますが、
忙しさの中でも、子供に目をかけることを忘れていないことを物語っています。
教育の源泉は、決して放任ではなく、目をかけ、心をかけることなのです。
Posted by 中川知博 at
08:00
│Comments(0)
2019年02月04日
心静かに

無心に働く人の 輝き
邪気のない人の すがすがしさ
戦わない人の 安らぎ
勝ち負けのない人の 強さ
思い込みのない人の 正しさ
野心のない人の 静けさ
幼想のない人の さわやかさ
こだわりのない人の おおらかさ
とらわれのない人の 大きさ
何もない人の 豊かさ
(『仏典』から)
日々、何かにつかれたように、心せわしくセカセカと過ごしている私たち・・・
ちょっとしたことに悩み、人を憎み、自分自身を追い詰めている私たち・・・
ときには、自分のそんな生き方を静かに振り返り、反省し、励まされたりして
人間らしい心を取り戻すことも大切です。
Posted by 中川知博 at
08:00
│Comments(0)
2019年02月04日
腹立ちのとき
中国の宗の時代の禅僧、宏智正覚の言葉「滴水滴凍」というのがあります。
つまり、したたいり落ちる水の一滴一滴が、すぐさま凍ってしまう瞬間凍結という
意味です。
これは、禅僧が悟りの境地を開くためには、悩みや苦しみを、いつまでも
持ち続けないように、そういう気持ちを瞬間的に凍らせてしまう心の修行が
必要であるといっているのです。
そういわれても、簡単なことではありませんが、赤ちゃんはこれをやっているのです。
「いま泣いたカラスがもう笑う」というように、赤ちゃんは気分転換が実に上手です。
それは、無心で、心に汚れないからできるのです。凡人である私たちは、
赤ちゃんや禅僧のようなわけにもいきません。
実際、日常生活において、しばしば腹を立てたり、悩んだり、苦しんだりの
毎日です。
しかし、そのために、人間関係がまずくなったり、自分自身にストレスを
ためることも珍しくありません。
そうならないために、嫌な気持ちが尾を引くことのないように、気持ちの転換の
修行をすることが必要です。感謝と思いやり、自己反省の気持ちを持てるように
努力すると、ずいぶん気が楽になるのではないでしょうか。

つまり、したたいり落ちる水の一滴一滴が、すぐさま凍ってしまう瞬間凍結という
意味です。
これは、禅僧が悟りの境地を開くためには、悩みや苦しみを、いつまでも
持ち続けないように、そういう気持ちを瞬間的に凍らせてしまう心の修行が
必要であるといっているのです。
そういわれても、簡単なことではありませんが、赤ちゃんはこれをやっているのです。
「いま泣いたカラスがもう笑う」というように、赤ちゃんは気分転換が実に上手です。
それは、無心で、心に汚れないからできるのです。凡人である私たちは、
赤ちゃんや禅僧のようなわけにもいきません。
実際、日常生活において、しばしば腹を立てたり、悩んだり、苦しんだりの
毎日です。
しかし、そのために、人間関係がまずくなったり、自分自身にストレスを
ためることも珍しくありません。
そうならないために、嫌な気持ちが尾を引くことのないように、気持ちの転換の
修行をすることが必要です。感謝と思いやり、自己反省の気持ちを持てるように
努力すると、ずいぶん気が楽になるのではないでしょうか。

Posted by 中川知博 at
08:00
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