2019年12月16日

日本のよさを見てもらおう

 アメリカの学生が、初めて日本にやって来て、どんな感想を抱いたか新聞に載っていたので紹介したい。

 2週間の半分は、アパートに泊まり東京で過し、後の1週間はユースホステルに泊り、京都・奈良のお寺を訪ね、自由な旅を満喫したようだ。

 東京では、多くのタクシーにカーナビがついていて、若者を刺激する最先端の技術にふれ感心する一方、お店でもレストランでも、日本語が話せないアメリカ学生に、非常に親切に接してくれた心の温かさに感激したといいます。

 また、京都や奈良の古いお寺や、関西の美しい自然も心を打たれたようです。米国にはない、古い日本の文化の前に尊敬の心をもったようです。

 日本人も忘れがちな日本の古きよき文化に、彼らはいたく感激して、また遠からず来たいと言っています。

 年若いうちに異国の文化に触れることは、非常によいことです。こうして一個人としての国民が、他国民と交際する機会をもつことが、国同志が理解するためにも必要なことです。やがて、世界に平和をもたらす基礎になる気がします。
(2月25日 朝日新聞より)  


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2019年12月16日

慈愛の心

 作家の村上龍さんは、高校生時代は警察にもお世話になる不良少年であったそうです。その後、家を逃げるように東京へと旅立ちます。

 一週間ほどたった頃、彼のもとに父親から一通の手紙が届きました。その内容は、家族のようす、近所の出来事など身近なことが書かれていました。彼を非難することは、何ひとつありませんでした。

 そのまま読み捨てていたが、翌週も、翌週も、故郷のようすがさりげなく書かれたハガキが届きました。返事を一度も書かなかったが、七年間にわたって2千通にもなったそうです。

 親の立場からすると、つい説教がましくこうしろあゝしろと叱ったり、責める気持になるところですが、淡々と粘り強く、子供をあくまでも信頼しようとする父親からの、慈愛の心が感じとれる。

 対立や誤解から、お互いの心が離れてしまった場合、何とか説得しようとして、こちらが頑なになればなるほど、相手は身構えてしまい、聞く耳を持とうとしないものです。相手を変えるのは、つきせぬ慈愛の心なのです。
  


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2019年12月02日

子供の躾

 70歳の老人が、昔を振り返って次のようなお話をされた。

 「私たちの子供の頃は、悪いこともしたが、人を傷つけることはしなかった。せいぜい、畑や庭の野菜や果物を、失敬したぐらいだ。友達と喧嘩をしても、コブを作った程度やった。第一、親や先生が恐いものだから、子供なりに良くわきまえていた。近所のおじさんやおばさんからも、悪いことをすれば、怒られた。こうして社会のルールや、人間関係について学び、子供として何か一本筋が通っていた気がする」

 さて、最近の子育てはどうでしょうか。私は、躾をするという事が全く解ってない様な気がする。

 先日も、うどん屋さんに、4人の子ずれの若いお母さんたちが昼食をとっていた。その時の子供たちのやかましいこと。一言も叱りもせず、ほったらかしであった。これでは、社会のルールなど守れるはずがない。公の場では、他の人に迷惑のかからないように、言って聞かせるのが躾である。

 叱ると怒るは本質的に違う。子供は、ほったらかしにしておくと、何でもOKという気になって育ってしまう。

 躾とは、制限を加えてやることである。やってはいけないこと、我慢すること、しなければいけないことを、子供の将来のために、本気で叱らなければならない。親の意にはまらない時や、腹がたって理性の伴わない怒りは、何の効果もない。
  


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