2023年06月19日

 ”喜びの遊び” のすすめ


 前回のつづきです。

 ある日パレアナは、交通事故にあい、片足を切断しました。失意のどん底に沈んだパレアナは、喜びを見つけることができず、病床で悩みぬきます。

 そんなとき、最後まで ”喜びの遊び” の仲間に入らなかったおばのパレーが、ついに仲間になります。そして、病床に横たわるパレアナに向かって言います。

 「町中の人がこの遊びをして、町中が前よりも幸せになっている―——これもみな、人々に新しい遊びとそのやり方を教えた、たった一人の小さな子供のおかげなのだよ」

 パレーおばさんも仲間だとわかったとき、パレアナは病床で手をたたき、 「ああ、わたしもうれしいわ」 と叫んだかと思うと、突然その顔にすばらしい輝きがあらわれました。

 「あら、おばさん、やっぱり、わたし喜べることがあるわ―——とにかく、前には足があったということよ―——そうでなかったら、そんなことが―——とてもできなかったでしょうからね!」

 パレアナは、すべての物事の中に喜びのタネを見つけ、感謝に結びつけていきました。

 喜びの発見 → 感謝 → 明るい生活 ――― 一人がこの ”喜びの遊び” を楽しんでつづけていれば、家族、友人、職場の仲間へその輪が広がり、幸福な人がたくさんできてくるでしょう。

  


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2023年06月05日

喜びの遊び


 アメリカの女流作家エレナ・ポッターが書いた小説『少女パレアナ』の主人公のお話しです。

 パレアナは、11歳のとき両親を亡くし、孤児となっておばのパレーにひきとられます。パレアナは何もない屋根裏の部屋を与えられ、ガックリします。

 しかし、すぐに、 「鏡のないのもうれしい。鏡がなければ、ソバカスも見えないものね」 と言います。このようなパレアナは、どんなことの中にも喜びのタネを見つけだし、感謝に結びつけていくのです。

 それを彼女は ”喜びの遊び” と名づけています。苦しいことでも、悲しいことでも、つらいことでも、なんでも喜びにしてしまうのです。この ”喜びの遊び” は神父であった父から教わったものでした。

 おばのパレーは、突然舞い込んだパレアナをうとんじ、何かにつけていじわるをします。パレアナは時にくじけそうになりながらも、 ”喜びの遊び” をつづけます。

 その後 ”喜びの遊び” の仲間を一人ずつふやしていきます。やがて大人も子供も村中の人が ”喜びの遊び” に夢中になります。

 パレアナの周りは喜びでいっぱいになりました。

  


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