2019年12月02日
子供の躾
70歳の老人が、昔を振り返って次のようなお話をされた。
「私たちの子供の頃は、悪いこともしたが、人を傷つけることはしなかった。せいぜい、畑や庭の野菜や果物を、失敬したぐらいだ。友達と喧嘩をしても、コブを作った程度やった。第一、親や先生が恐いものだから、子供なりに良くわきまえていた。近所のおじさんやおばさんからも、悪いことをすれば、怒られた。こうして社会のルールや、人間関係について学び、子供として何か一本筋が通っていた気がする」
さて、最近の子育てはどうでしょうか。私は、躾をするという事が全く解ってない様な気がする。
先日も、うどん屋さんに、4人の子ずれの若いお母さんたちが昼食をとっていた。その時の子供たちのやかましいこと。一言も叱りもせず、ほったらかしであった。これでは、社会のルールなど守れるはずがない。公の場では、他の人に迷惑のかからないように、言って聞かせるのが躾である。
叱ると怒るは本質的に違う。子供は、ほったらかしにしておくと、何でもOKという気になって育ってしまう。
躾とは、制限を加えてやることである。やってはいけないこと、我慢すること、しなければいけないことを、子供の将来のために、本気で叱らなければならない。親の意にはまらない時や、腹がたって理性の伴わない怒りは、何の効果もない。
「私たちの子供の頃は、悪いこともしたが、人を傷つけることはしなかった。せいぜい、畑や庭の野菜や果物を、失敬したぐらいだ。友達と喧嘩をしても、コブを作った程度やった。第一、親や先生が恐いものだから、子供なりに良くわきまえていた。近所のおじさんやおばさんからも、悪いことをすれば、怒られた。こうして社会のルールや、人間関係について学び、子供として何か一本筋が通っていた気がする」
さて、最近の子育てはどうでしょうか。私は、躾をするという事が全く解ってない様な気がする。
先日も、うどん屋さんに、4人の子ずれの若いお母さんたちが昼食をとっていた。その時の子供たちのやかましいこと。一言も叱りもせず、ほったらかしであった。これでは、社会のルールなど守れるはずがない。公の場では、他の人に迷惑のかからないように、言って聞かせるのが躾である。
叱ると怒るは本質的に違う。子供は、ほったらかしにしておくと、何でもOKという気になって育ってしまう。
躾とは、制限を加えてやることである。やってはいけないこと、我慢すること、しなければいけないことを、子供の将来のために、本気で叱らなければならない。親の意にはまらない時や、腹がたって理性の伴わない怒りは、何の効果もない。
Posted by 中川知博 at 08:00│Comments(0)