2020年10月05日

「心のノート」は誰のために

 中学校の入学式で校長先生が訓示された「心のノート」の続きです。

 中学生たちは思い思いに「心のノート」に書いていました。玄関の掃除や夕食の後片付けを手伝う生徒が多かった。その中で、最初のころは、お母さんから「偉いね」とほめてくれてたけど、最近は「手伝いなさい、ノートに書けないでしょう」って強制される。本当はあまりやりたくないけど、ノートに書かなきゃならないからやっている。本音がちらりと語られている。

 先生は毎日ゴミ拾いをしているが、 “ゴミを拾う” という同じ行いでも、その日の自分の心は毎回毎回違うんだよ。

 面倒くさいけれど “拾わなくっちゃ” と義務的に思ったり、 “こんなところに捨てたのは誰だ” と腹を立てながら拾ったり、 “拾わせてもらおう” と謙虚に思うこともある。

 そこで気づいたんだ。たとえ形はよい行いでも、そのときの自分の心が不平・不満だったら、本当のよい行いとは言えないんじゃないかってね。

 家の手伝いも、同じことが言えるんじゃないかな。 “やらなければいけない” という気持ちだけで手伝いをしていると、せっかくよいことをしていても、やっている方は楽しくない。

 「心のノート」は、人から言われたからするものではない。ましてや、ノートにつけるためにするものでもない。自分自身のためにするものです。先生も続けるから君たちも続けてください。



Posted by 中川知博 at 08:00│Comments(0)
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