2017年03月20日
人間としての一流をめざす
私たちは、知識や学歴を何か絶対的な価値があるもののように思いがちではないでしょうか。
ともすると、人間としての価値を決定するものであるかのように、錯覚していることがあります。
松下政経塾の塾頭を10年間務め、現在は志ネットワークを創設して「青年塾」を開いている
上甲晃さんは、学歴と人間の価値について、次のように述べています。
-たとえ、一流の大学を卒業していても、「自分さえよければ」という、自己中心的な考えの人は、
人間としては三流です。人間としての一流は、たとえ学歴がなくても、周りのひとのことを常に自分
のことのように考えられる心をもつことだと思います。
-どれほど知的に優れていても、自分の損得しか考えられない人は三流の人間だと思います。
私は、みんなの得のために、自分は多少損をしてもいいから一番困難なことを
「私にやらせてください。」と言って手を挙げられるのが、人間としての一流の姿ではないかと思います。
知識はそれ自体には価値はありません。知識は、何のために、どのように生かしていくのかが重要です。
(「ニューモラル」誌399号より)
ともすると、人間としての価値を決定するものであるかのように、錯覚していることがあります。
松下政経塾の塾頭を10年間務め、現在は志ネットワークを創設して「青年塾」を開いている
上甲晃さんは、学歴と人間の価値について、次のように述べています。
-たとえ、一流の大学を卒業していても、「自分さえよければ」という、自己中心的な考えの人は、
人間としては三流です。人間としての一流は、たとえ学歴がなくても、周りのひとのことを常に自分
のことのように考えられる心をもつことだと思います。
-どれほど知的に優れていても、自分の損得しか考えられない人は三流の人間だと思います。
私は、みんなの得のために、自分は多少損をしてもいいから一番困難なことを
「私にやらせてください。」と言って手を挙げられるのが、人間としての一流の姿ではないかと思います。
知識はそれ自体には価値はありません。知識は、何のために、どのように生かしていくのかが重要です。
(「ニューモラル」誌399号より)
Posted by 中川知博 at 09:00│Comments(0)