2021年03月15日

一粒の種子の願い

 私たちが日頃食べている果物や野菜は、さまざまな所から色々な経路をたどり、交易品とともにやってきました。

 ナスのルーツはインドの東部。日本へは中国から八世紀前後に伝来しています。ニンジンは、ヒンズークシ山麓のアフガニスタン地方。日本へは中国から17~18世紀前後に伝わったといわれています。

 キュウリは、ヒマラヤ山麓。シルクロードを通り、六世紀頃、中国南部から伝わった。西域地方の胡という国から伝わったので胡瓜の名がついたそうです。

 さらに、リンゴのルーツは、コーカサス・トルコ地方ですが、日本へは中国原産種が平安時代の中頃に入ってきたといわれています。現在、食べているリンゴは、ヨーロッパ系のリンゴ、永久年間(1861~1863)に渡来したものです。

 このように、果物や野菜にもルーツがあり、人から人へと栽培や伝播がくり返され、長い年月を経て伝えられたものです。

 その背景には、一粒の種子にも、商取引以前の問題として「おいしいものを少しでもより多くの人びとに、食べさせてあげたい」という純粋な願いがあったからでしょう。


   


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2021年03月01日

心を豊かにする「感謝」のひとこと

 舌のまわらぬ子供でも、物を貰えば礼を言う。悪いことをする人でも、心にふれる親切には思わず手を合わす。

 理屈でも何でもない。感謝するということは、人としてごく自然な姿。ありがたく思う心の働きは、長い年月をかけ、人類の歴史の中で育まれてきた助け合いの精神から生まれてきたと思われる。故に、人それぞれに与えられている遺伝子である。

  “感謝せよ” と言われると、何となく窮屈に思えてくるが、 “ありがとう”   “おかげさまで” のひとことが、どれほど人の心をなごまし、喜びをもたらしてくれることか。

 身構えてする必要はない。感謝の気持ちを、あるがまゝに素直にあらわせばいいのである。

 大事なことは、他の動物ではできない、人間なればこそこれができるということである。感謝できるということは、本当は人間としての大きな天与の特権であるとも言える。

 その特権をお互いに、もっともっと大事にしたい。そして身に受けた喜びに素直にお礼を言い、自らも又、喜びを他に与える働きを重ねていきたいものです。
  


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