2018年07月16日
「領収証的祈り」
ある神社の宮司さんが、参拝について次のように説明しています。
「神様は清浄を喜ばれるから、いろいろ願い事をすることは、一切禁じられている。
すべて願い事は私欲であり、汚れであるから、神前で訴えてはならない。
ご神前へ出たら、柏手を打って『今日も無事暮らさせていただいて、ありがとうございます。』
と、ただお礼を申し上げて、帰るのが、正しい神詣での仕方である」
このことは、新道だけでなく、仏教も同じ考えなのではないでしょうか。
仏教評論家のひろさちやさんは、神仏を拝むとか、お祈りをする、本当の理由は
「感謝の気持ち」の表現であると説いています。
さらに、一日一日を、幸福に過ごさせていただく、その感謝の気持ちの祈りを
「領収証的祈り」と呼んでいます。
また、神仏にお願いばかりする祈りについては、「請求書的祈り」という表現をして
嘆かわしいことだとしています。
ふだんは神様を忘れていて、初詣などで、要求ばかりの神頼みであっては
身勝手な感じがします。
できることなら、現在あることへの感謝の心を表した「領収証的祈り」を
捧げたいものです。
Posted by 中川知博 at
08:00
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2018年07月09日
二つの見方がある
「あの人は暗そうだけど、話し合えば明るい人よ」
「彼は一本気だし、直情型の行動が目につくが、思慮深い面もある」
このように、二面性を持った人は、意外といるものです。
また、物事についても、「簡単に見えても案外奥深い」ことや、「安全だと思っていても、
思いがけない障害があってリスクを伴う」ことを経験することも少なくないでしょう。
二面性を感じたり、経験したりすることは、自分が最初に思ったり、感じたりしたことを
単純に思い込んでしまうからではないでしょうか。その結果、ひとりよがりや偏見に陥り
物事の本質が見えなくなったり、誤った判断をしてしまうことにつながります。
よく「大事の前の小事」と言います。
この言葉も、物事が持つ二面性を示唆する意味が含まれています。
「大事を行う前は、ささいなことに構わないほうがよい」と、「大事を行う前は、
ささいなことにも慎重に対処しなければならない」という二つの違った意味、用法があります。
物事には、ひとことで、あるいは一つの見方では、とうていつかみきれないものが、
少なくありません。
ふだんから、広い心と、幅広い知識、冷静な判断力を身に着けることが大切です。
Posted by 中川知博 at
08:00
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