2021年08月16日
幸福と言う青い鳥
幸福について語るとき、私たちはメーテルリンクの青い鳥という話を引き合いに出すことがあります。
幸福の青い鳥をどこまで追いかけていっても、青い鳥は向こうの森に逃げていってしまい、実際にそういう青い鳥などはどこにもおらず、幸福の青い鳥は自分の心の持ち方にあるのだと言うことです。
しかも幸福と言うものは、自分だけのために考えたり、求めたりするものではなく、周りの人々を含め、お互いが幸せに生きることに、責任を持ち合うような生活体をつくりだすものでなければなりません。
自分が生き、そして働くことが他人の幸福に、つながってゆくのだと言うことを、自覚しえる時こそ、お互い本当に幸福なのです。
幸福は青い鳥ではありません。それは、私どもが現実に作り出してゆくことのできる “たしかなもの” でなければなりません。
自分だけでなく、周りの人々が幸福になることの中に、自分の幸福が感じられるような “しあわせ”を作り出したいものです。
幸福の青い鳥をどこまで追いかけていっても、青い鳥は向こうの森に逃げていってしまい、実際にそういう青い鳥などはどこにもおらず、幸福の青い鳥は自分の心の持ち方にあるのだと言うことです。
しかも幸福と言うものは、自分だけのために考えたり、求めたりするものではなく、周りの人々を含め、お互いが幸せに生きることに、責任を持ち合うような生活体をつくりだすものでなければなりません。
自分が生き、そして働くことが他人の幸福に、つながってゆくのだと言うことを、自覚しえる時こそ、お互い本当に幸福なのです。
幸福は青い鳥ではありません。それは、私どもが現実に作り出してゆくことのできる “たしかなもの” でなければなりません。
自分だけでなく、周りの人々が幸福になることの中に、自分の幸福が感じられるような “しあわせ”を作り出したいものです。
Posted by 中川知博 at 08:00│Comments(0)