2023年11月20日

子育ては ”親育て”  ”心育て”


 親は、最初から親だったのではありません。日々子供と向き合っていく中で、子供と共に学びながら親になっていきます。

 友達の家に遊びに行ったとき、部屋の中でふざけて走り回っているうちに、花びんを割ってしまいました。家に帰っていつもより元気のないことに気づいた母親は、事情を知り、いっしょに謝りに行きました。

 そのお母さんの思いは、子供が悪いことをしたとき、親は親として責任をとる姿を子供に見せることが大切だと思ったからです。

 親は子を育てますが、親も子によって親として成長するチャンスを与えられるといえるでしょう。

 親は子の失敗にねばり強くつきあい、そのつど親としての自覚と、子供とのきずなを深めていくことが大切です。

 子育てを通して、親も子も心が育つ―———まさに子育ては ”親育て”  ”心育て” といえるのではないでしょうか。
  


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2023年11月06日

きめこまやかな観察


 言葉というのは、コミュニケーションの上で、重要な役割をはたしているのは、いうまでもありません。けれども人間のコミュニケーションは、相手の表情、視線、動作、姿勢など言葉以外のものも含まれ、そういうものから、相手をうかがい知ることもできます。

 ある洋菓子店を営んでいるお母さんは、次のようなことを語っています。 「店が忙しく、子供とのふれあいの時間が十分に持てない私は、子供が帰宅したときに、店の中を通過する、ほんの少しの間、子供の表情や歩き方、声の調子の変化を見逃さずに、注意しています。そこで『どこか、何かヘンだ。いつもと違う』と感じたときは、仕事の合間をぬって、後でじっくり子供と対話するようにしています」

 このきめこまやかな観察眼は、母親ならのものです。まだ大人と違って、不安定な心理状態が続く子供に対しては、言葉以外の何かをつかむ意味は大きいのです。

 よく、忙しすぎる両親なのに、子供がすばらしく成長している話を聞きますが、忙しさの中でも、子供に目をかけることを忘れてはいけないことを物語っています。

 教育の源泉は、決して放任ではなく、目をかけ、心をかけることなのです。

   


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2023年10月16日

心静かに


 無心に働く人の 輝き

 邪気のない人の すがすがしさ

 戦わない人の 安らぎ

 勝ち負けのない人の 強さ

 思い込みのない人の 正しさ

 野心のない人の 静けさ

 幻想のない人の さわやかさ

 こだわりのない人の 大きさ

 何もない人の 豊かさ

                   (『仏典』から)


 日々、何かにつかれたように、心せわしくセカセカと過ごしている私たち―——。

 ちょっとしたことに悩み、人を憎しみ、自分自身を追いつめている私たち―——。

 ときには、自分のそんな生き方を静かにふり返り、反省し、励まされたりして、人間らしい心をとりもどすことも大切です。
  


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2023年10月02日

腹立ちのとき

 中国の宋の時代の禅僧、宏智正覚の言葉に「滴水滴凍」というのがあります。つまり、したたり落ちる水の一滴一滴が、すぐさま凍ってしまう瞬間凍結という意味です。

 これは、禅僧が悟りの境地を開くためには、悩みや苦しみを、いつまでも待ち続けないように、そういう気持を瞬間的に凍らせてしまう心の修業が、必要であるといっているのです。

 そういわれても、簡単なことではありませんが、赤ちゃんは、これをやっているのです。 「いま泣いたカラスがもう笑う」 というように、赤ちゃんは気分転換が実に上手です。

 それは、無心で、心に汚れがないからできるのです。凡人である私たちは、赤ちゃんや禅僧のようなわけにもいきません。実際、日常生活において、しばしば腹を立てたり、悩んだり、苦しんだりの毎日です。

 しかし、そのために、人間関係がまずくなったり、自分自身にストレスをためることも珍しくありません。

 そうならないために、嫌な気持が尾をひくことのないように、気持の転換の修業をすることが必要です。感謝と思いやり、自己反省の気持を持てるように努力すると、ずいぶん気が楽になるのではないでしょうか。
  


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2023年09月18日

遠大な計画


 昔、中国でのお話です。ある君主が猟に出かけたとき、一人の老人があえぎながら松の苗を植えていました。

 君主は 「おじいさん、年はいくつかね」 とたずねたら、 「85になりました」 と答えました。君主は 「松はいずれ立派な木に育つだろうが、それではおじいさんの生きている間には使えないじゃないか」 と言いました。

 これを聞いた老人は、木を植える手をとめて、「この木は植えてから百年後に役立てるものです。自分が生きている間に使えないから無駄ではないかとは、とても国を治める方の言葉とは思えません。私は、先は短いですが、子孫のために木を植えているのです」 と答えました。

 これを聞いた君主は、すっかり恥じ入って 「自分がまちがっていた」 といい、その老人を丁重にもてなしたということです。

 私たちは、不透明な、変化の激しい時代だからといって、3年後、5年後ぐらいのことしか考えられないのでは、ないでしょうか。

 30年後、50年後、いや100年後のことを考えたいものです。たとえ遠大であったとしても、未来を大いに語りたいものです。
  


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2023年09月04日

育てる姿勢


 学校教育や子育てには、いろいろな角度で子供と接していく姿勢が大切です。

 まず第一に前向きに向かい合う姿勢です。つまり、教師や親が、子供を前にして、いうべきことをいい、教え、またしつけていく姿勢です。ところが、今は当然いうべきことをいわず、しかるべき時にしからない親が少なくありません。

 第二には、子供と横並びの位置で接していく姿勢です。つまり上下の関係ではなく、心を開いて、子供たちの日常生活の中に目を向けて、心の悩みを察し、受けとめていくことです。子供は子供なりの考えを持って行動しています。 「信頼」 してやることです。

 第三は、背中、つまり後姿で接することです。日ごろ、子供にしつけていることを、まずは大人が率先して実行していくことです。つまり大人が自分自身を厳しく律して、模範を示すことが大切です。いくらきれいごとをならべても、大人がそれに反した行動を取っているようでは、子供は決してついてこないでしょう。

 知徳一体の豊かな人格形成を目指すためにも、上の立場にいる人は、とくに、この三つの姿勢を常に忘れず、接していきたいものです。

  


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2023年08月21日

心はいつもいい方向に


 京都の大徳寺のそばに、「泣き婆さん」と呼ばれる人がいました。このお婆さんには、二人の息子がいました。一人は傘屋を、もう一人は「雪駄や」(草履や)をしていました。

 泣き婆さんと呼ばれる理由は、いつも雨が降ると、雪駄屋の息子がかわいそうだ。晴れた日は、傘屋の傘が売れないので、かわいそうだと泣いてばかりいました。

 その様子を聞いた大徳寺の和尚さんは、「お婆さん、なぜ晴れた日に「雪駄屋」の息子のことを、雨の日は「傘屋」の息子のことを喜ばないのか」とさとしました。

 そうか、いつも悲しんでばかりいず、喜んだら良いのだと気づきました。その日から、今までの考え方を180度転換しました。以後、世間の人は「笑い婆さん」と呼ぶようになりました。

 このお話の一番大切なことは、いい日だ、悪い日だということは、自分が決めているだけです。事情は(天候)は、少しも変わっていません。なのに、進んで自分から悪い日だと思うから、心も悪くなっていくのです。

 心の持ち方は、常にいい方向に向けてはどうでしょう。

  


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2023年08月07日

言葉の力


 私たちは毎日、言葉を使っていますが、言葉というのは、その人の人格が正直に現れます。

 
 若い人の中には、先輩や年長者に対しても、友人に接する時と同じような口のきき方や態度をとっている人も、見うけられます。

 そのため、社会人になっても、一から基本的な言葉づかいについて、研修をしなければならないケースが少なくありません。

 「言葉こそしつけである」と、外山滋比古教授は、次のように述べています。

 「子供にとって最初の、そして最大のしつけは『言葉』である。子供に言葉を教えるのは、親の責任である。言葉をしっかりしつけておけば、後々のしつけも順調にいく。これをないがしろにしておくと、後の行儀作法をしつけようとしても、うまくいかない」

 言葉は、人を育てる基本であるということに、改めて気づかされます。それと共に、私たちの言葉づかいが、つねに子供たちに強く影響を与えていることを、考えておきたいものです。
  


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2023年07月17日

心の特性


 心の特性の一つに、同じ気持ちを同時に使えないということです。

 心は、良くも悪くも働きます。
 例えば、困っている人を見て、助けようと思ったら、自分のできる限りの力を出そうとします。
 悪いことをする人は、とことん悪いことをしようと考えます。
 同時には使えませんが、時として良くなったり悪くなったりします。これが人間の常です。

 人の心は、本当に移り気です。その移り気が、争いとなり問題を起こします。


 もう一つの心の特性は、使った方が増大するということです。よい心を使えば使うほど、良くなることに心の目が向けられます。その反対も考えられます。

 心の持ち方使い方、その特性を知って、良き方向に心を使いましょう。

  


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2023年07月03日

気働きで自分の存在感を

 あなたが家族のだれかから 「お風呂を見てきてほしい」 と頼まれた時、 「はあ~い」 と言ってはみたもののどうしますか?

 幼い頃、私たちは、上のほうは熱くなっていても、下のほうがまだ水であることを発見し、よくかき回さなければわからないことを肌で体験しながら成長してきました。

 ところがこれで終りでしょうか。ほかにすることはないでしょうか。

 そうです。お風呂を見るということは、湯加減を見て、タオルがあるかどうか、石けんが小さくなってないかどうか、といったことを点検し、これからお風呂に入る人が、何不自由なく入れるように準備する、という意味が含まれているのです。

 頼まれたことだけでなく、何かほかにすることはないかと気を配る、気を利かせる、いわゆる 「気働き」 が大切ということです。

 暑い日に、外から訪れたお客さんに、飲み物といっしょにおしぼりを添えるといった、ささいなことに心をつかうことが 「気働き」 です。あなたを素晴らしいと他人が感じるのは、ひとつのことをする時に、ほかにもやることはないだろうかと、「気働き」のできている瞬間を見てもらった時なのです。

  


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