2019年01月07日
心はいつもいい方向に
京都の大徳寺のそばに、「泣き婆さん」と呼ばれる人がいました。
このお婆さんには、二人の息子がいました。
一人は「傘屋」を、もう一人は「雪駄屋」(草履屋)をしていました。
泣き婆さん、と呼ばれる理由は、いつも雨が降ると、雪駄屋の息子がかわいそうだ。
晴れた日には、傘屋の傘が売れないので、かわいそうだと泣いてばかりいました。
その様子を聞いた大徳寺の和尚さんは、「お婆さん、なぜ晴れた日に「雪駄屋」の
息子のことを、雨の日は「傘屋」の息子のことを喜ばないのか」とさとしました。
そうか、いつも悲しんでばかりいず、喜んだらいいのだと気づきました。
その日から、今までの考え方を180度転換しました。
以後、世間の人は「笑い婆さん」と呼ぶようになりました。
このお話の一番大切なことは、いい日だ、悪い日だということは、
自分で決めているだけです。
事情は(天候)は、少しも変わっていません。
なのに、進んで自分から悪い日だと思うから、心も悪くなっていくのです。
心の持ち方は、常にいい方向に向けてはどうでしょう。
このお婆さんには、二人の息子がいました。
一人は「傘屋」を、もう一人は「雪駄屋」(草履屋)をしていました。
泣き婆さん、と呼ばれる理由は、いつも雨が降ると、雪駄屋の息子がかわいそうだ。
晴れた日には、傘屋の傘が売れないので、かわいそうだと泣いてばかりいました。
その様子を聞いた大徳寺の和尚さんは、「お婆さん、なぜ晴れた日に「雪駄屋」の
息子のことを、雨の日は「傘屋」の息子のことを喜ばないのか」とさとしました。
そうか、いつも悲しんでばかりいず、喜んだらいいのだと気づきました。
その日から、今までの考え方を180度転換しました。
以後、世間の人は「笑い婆さん」と呼ぶようになりました。
このお話の一番大切なことは、いい日だ、悪い日だということは、
自分で決めているだけです。
事情は(天候)は、少しも変わっていません。
なのに、進んで自分から悪い日だと思うから、心も悪くなっていくのです。
心の持ち方は、常にいい方向に向けてはどうでしょう。
Posted by 中川知博 at 08:00│Comments(0)