2024年11月18日
皇室典範改正 その2
「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーを見ると、よくもこんな人達を小泉首相は任命したものだと疑問に感じる。
頭から ”天皇制廃止” の専門家 (学者) が入っています。歴史の連続性を否定し、国家の連続性を断ち切ることで達成されるのが革命ですから、彼らは、ロシヤを始め西欧で起こった革命をいままさに日本で起こそうとしているのです。
歴史を繙(ひもと)くと、皇位継承には、これまでもさまざまな危機があった。だが、125代にわたり男系による継承が行われないことは一度もなかった。その一貫したルールゆえに、私たち国民は皇室を唯一特別な家系として仰ぎ見、権威を高めてきたのです。戦国時代の信長や家康を想像してください。その武力でならいつでも断絶をはかることは容易であったはずです。
日本の皇室は、外国の王室のように武力で国民を服従させたのではない。ここが日本のよき伝統尊重の文化であるのです。
さて、秋篠宮家の新宮を心待ちにするのだが、皇位継承を危惧する解決策に、戦後降下された宮家の復活が望まれる。幸いにも皇籍離脱された男子皇族26人の内、14人が健在だ。その子孫は34人、うち独身11人 (小学生以下が3人) おられる。皇籍復活こそ、最良の皇室典範改正に適している。
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2024年11月14日
皇室典範改正の問題点
皇室典範改正の問題点は、女性天皇、女系天皇を導入し、長子優先をはかろうとしていることです。有識者会議では、皇太子殿下のお子さん愛子さんを今後の天皇にしようと予定し、そうすれば国民の理解を得られると考えているのでしょう。
とんでもないことです。これでは、2000年以上続いている皇室継承の歴史が継絶し、皇室の伝統が消えてなくなります。
そもそも女性天皇・女系天皇の違いもわかっていないし、大切なことは、天皇が男性か女性かではなく、男系の血筋を引かれているかどうかということです。
わが皇室は男系の血筋をたどっていけば、歴代天皇そして神武天皇、神話の世界の天照大神さまにさかのぼるという、世界に類例のない家系を誇っています。これを万世一系といいます。
遺伝学で説明しましょう。男性の染色体はXYです。女性はXXです。その夫婦に生まれる子供で男子はXY、女性はXXです。女性にY染色体が交わることはありません。愛子さんにご養子さんを迎えたらいいではないかという意見がありますが、残念ながらXY’ ですので、連綿として天照大神さんからの子孫、血のつながりにはならないのです。私たち一般庶民は、血の繋がっていない家系が普通です。
男性を種、女性を畑に喩えるとわかり易いと思います。稲の種は、どんな畑にまいても、生えてくるのは稲です。畑はどうかといえば、まく種によって、稗が生えたりセイタカアワダチソウが生えてきます。種には連続性のイメージがあるが、畑にはそれがありません。
こうしたことが、どうして2000年前にわかっていたのでしょう。その努力はやはり続けられていました。一つは、多くの宮家を作っておくこと。残念ながら昭和23年に秩父、高松、三笠の三直宮家を除いて、11宮家がGHQの手によって臣籍降下されてしまいました。第2に側室が置かれていました。昭和天皇からやめておあられます。
歴史の上では女性天皇は、確かに10人おられますが、いずれも男系で未亡人か独身の皇族女子でピンチヒッターの役目でしかありません。即位後に結婚されたり、出産されたことはありません。
とんでもないことです。これでは、2000年以上続いている皇室継承の歴史が継絶し、皇室の伝統が消えてなくなります。
そもそも女性天皇・女系天皇の違いもわかっていないし、大切なことは、天皇が男性か女性かではなく、男系の血筋を引かれているかどうかということです。
わが皇室は男系の血筋をたどっていけば、歴代天皇そして神武天皇、神話の世界の天照大神さまにさかのぼるという、世界に類例のない家系を誇っています。これを万世一系といいます。
遺伝学で説明しましょう。男性の染色体はXYです。女性はXXです。その夫婦に生まれる子供で男子はXY、女性はXXです。女性にY染色体が交わることはありません。愛子さんにご養子さんを迎えたらいいではないかという意見がありますが、残念ながらXY’ ですので、連綿として天照大神さんからの子孫、血のつながりにはならないのです。私たち一般庶民は、血の繋がっていない家系が普通です。
男性を種、女性を畑に喩えるとわかり易いと思います。稲の種は、どんな畑にまいても、生えてくるのは稲です。畑はどうかといえば、まく種によって、稗が生えたりセイタカアワダチソウが生えてきます。種には連続性のイメージがあるが、畑にはそれがありません。
こうしたことが、どうして2000年前にわかっていたのでしょう。その努力はやはり続けられていました。一つは、多くの宮家を作っておくこと。残念ながら昭和23年に秩父、高松、三笠の三直宮家を除いて、11宮家がGHQの手によって臣籍降下されてしまいました。第2に側室が置かれていました。昭和天皇からやめておあられます。
歴史の上では女性天皇は、確かに10人おられますが、いずれも男系で未亡人か独身の皇族女子でピンチヒッターの役目でしかありません。即位後に結婚されたり、出産されたことはありません。
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2024年10月21日
真の改革者
「聖域なき構造改革」 をたびたび口にする小泉首相も、いよいよ化けの皮が剥げてきた。
改革は、もちろん賛成であり、道路公団をはじめとする公共団体のぬるま湯体質が、徐々に明らかになってきたことは、大いに歓迎である。
ところで、世の中には、変えなくてはいけないもの、変えてはいけないものがあります。絶対変えてはいけない、手を触れてはいけない分野を聖域と称します。
絶対守るべきものが聖域であり、その守るべきものが明確にわかっている人が、真の改革者です。
小泉首相は、 「皇室典範に関する有識者会議」 の報告書が公表された、直後の記者会見で 「いわば皇室の構造改革ですね」 と言っている。
郵政民営化等々の改革と、同じレベルで捉えていることに、これは歴史への冒瀆といわなければならない。
次回から、その見証を試みたいと思います。
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2024年10月07日
親を思う
中国の古典『礼記』の中に、子供は両親にどのように接すればよいか、その手順を次のように述べています。
両親の居間に参上したとき———
1) 心を平静にし、やさしい声で、着物が暑すぎないか、寒すぎないか、たずねる。
2) 痛むところ、かゆいところはないか、たずねる。痛むところは押え、かゆいところは、かいてさしあげる。
3) 両親がその部屋から出る時は、先に立ったり、後ろに回ったりして、支える。
4) 洗面用のたらいを勧める時は、若い者が水を捨てるバケツを、年上のものが水を捧げてゆく。終わったら、手ぬぐいをさしだす。
5) 朝食はなにがよいかたずねる。朝食をうやうやしく、顔色をやわらげて、すすめる。
(『新行儀読本』 河出文庫より)
時代や環境は異なっていても、親あるいはお年寄りに対しての、やさしい、思いやりの仕草が述べられているのではないでしょうか。万分の一でも見習いたいものです。
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2024年09月16日
日本のよさを見てもらおう
アメリカの学生が、初めて日本にやって来て、どんな感想を抱いたか新聞に載っていたので紹介したい。
2週間の半分は、アパートに泊まり東京で過し、後の1週間はユースホステルんい泊り、京都・奈良のお寺を訪ね、自由な旅を満喫したようだ。
東京では、多くのタクシーにカーナビがついていて、若者を刺激する最先端の技術にふれ感心する一方、お店でもレストランでも、日本語が話せないアメリカ学生に、非常に親切に接してくれた心の温かさに感激したといいます。
また、京都や奈良の古いお寺や、関西の美しい自然も心を打たれたようです。米国にはない、古い日本の文化の前に尊敬の心をもったようです。
日本人も忘れがちな日本のよき文化に、彼らはいたく感激して、また遠からず来たいと言っています。
年若いうちに異国の文化に触れることは、非常によいことです。こうして一個人としての国民が、他国民と交際する機会をもつことが、国同志が理解するためにも必要なことです。やがて、世界に平和をもたらす基礎になる気がします。
(2月25日 朝日新聞より)
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2024年09月02日
慈愛の心
作家の村上龍さんは、高校生時代は警察にもお世話になる不良少年であったそうです。その後、家を逃げるように東京へと旅立ちます。
一週間ほどたった頃、彼のもとに父親から一通の手紙が届きました。その内容は、家族のようす、近所の出来事など身近なことが書かれていました。彼を非難することは、何ひとつありませんでした。
そのまま読み捨てていたが、翌週も、翌週も、故郷のようすがさりげなく書かれたハガキが届きました。返事を一度も書かなかったが、七年間にわたって2千通にもなったそうです。
親の立場からすると、つい説教がましくこうしろあゝしろと叱ったり、責める気持になるところですが、淡々と粘り強く、子供をあくまでも信頼しようとする父親からの、慈愛の心が感じとれる。
対立や誤解から、お互いの心が離れてしまった場合、何とか説得しようとして、こちらが頑なになればなろほど、相手は身構えてしまい、聞く耳を持とうとしないものです。相手を変えるのは、つきせぬ慈愛の心なのです。
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2024年08月19日
子供の躾
70歳の老人が、昔を振り返って次のようなお話をされた。
「私たちの子供の頃は、悪いこともしたが、人を傷つけることはしなかった。せいぜい、畑や庭の野菜や果物を、失敬したぐらいだ。友達と喧嘩をしても、コブを作った程度やった。第一、親や先生が恐いものだから、子供なりに良くわきまえていた。近所のおじさんやおばさんからも、悪いことをすれば、怒られた。こうして社会のルールや、人間関係について学び、子供として何か一本筋が通っていた気がする」
さて、最近の子育てはどうでしょう。私は、躾をするという事が全く解ってない様な気がする。
先日も、うどん屋さんに、4人の子ずれの若いお母さんたちが昼食をとっていた。その時の子供たちのやかましいこと。一言も叱りもせず、ほったらかしであった。これでは、社会のルールなど守れるはずがない。公の場では、他の人に迷惑のかからないように、言って聞かせるのが躾である。
叱ると怒るは本質的に違う。子供は、ほったらかしにしておくと、何でもOKという気になって育ってしまう。
躾とは、制限を加えてやることである。やってはいけないこと、我慢すること、しなければいけないことを、子供の将来のために、本気で叱らなければならない。親の意にはまらない時や、腹がたって理性の伴わない怒りは、何の効果もない。
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2024年08月05日
自分との戦い
幸せを得ようとするならば、それに値する努力をしなければなりません。それは、他人との戦いではなく、自分自身の感情 (心)、論理 (理性) との戦いです。
他人の心を変えようなんて思うことは、とうてい無理なことです。まずは、自分から変わることです。そのほうが早くて確実です。
修練女の経験のあるノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは、次のように語っています。
草むしりをしているとき、修練長から 「あなた達は、草を毟(むし)っているだけだ。草を根こそぎ取らないと、またすぐ生えてきますよ」 続けて、 「悪の道に入ってしまい、そこから足を抜こうにも抜けない青年がいっぱいいるのですよ。その人達のために祈りを込めて、草を根こそぎ抜いたらどうですか」 と言われた。
そこで次のように思ったそうです。
「自分が変わることによって、それまではつまらないとしか思えなかった仕事が、意味ある仕事に変わり、私は修道院の片隅にいても、他人のために生きる幸せ者になりました。」
人を変えようとするよりも、渡辺さんの体験も、彼女の態度 (心) の他に変わったものは何もなかったのです。
他人の心を変えようなんて思うことは、とうてい無理なことです。まずは、自分から変わることです。そのほうが早くて確実です。
修練女の経験のあるノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは、次のように語っています。
草むしりをしているとき、修練長から 「あなた達は、草を毟(むし)っているだけだ。草を根こそぎ取らないと、またすぐ生えてきますよ」 続けて、 「悪の道に入ってしまい、そこから足を抜こうにも抜けない青年がいっぱいいるのですよ。その人達のために祈りを込めて、草を根こそぎ抜いたらどうですか」 と言われた。
そこで次のように思ったそうです。
「自分が変わることによって、それまではつまらないとしか思えなかった仕事が、意味ある仕事に変わり、私は修道院の片隅にいても、他人のために生きる幸せ者になりました。」
人を変えようとするよりも、渡辺さんの体験も、彼女の態度 (心) の他に変わったものは何もなかったのです。
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2024年07月15日
寛大な心
もしあなたが、誰かに期待した微笑が返ってこなかったら、不愉快になる代わりに、むしろあなたの方から、微笑返してください。
実際、微笑を忘れた人ほど、あなたからのそれを、必要としている人はいないのですから。
人はちょっとしたシグナルの損で傷つきますが、そのキズを癒す最良の薬は「仕返し」ではなくて 「許しと愛」 なのです。相手への思いやりに基く、寛大な心でしかありません。
人は多くの癖を持っています。性格も違いますし、ましてやいい癖や悪い癖、いい性格や悪い性格とさまざまです。特に、悪い癖や性格を補い合うことが、人間関係・・・・・・例えば夫婦の間・・・・・・・の上で大切です。
受け入れて、許す心がなかったら、相手に返すだけです。寛大な心は、自分にも他人にも幸せをもたらす 「気づかい」 なのです。
Posted by 中川知博 at
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2024年07月01日
「いいこと」は他人との関係から生まれる
私たちは、人間関係の中で生活しています。自分だけをプラスの状態にしておいても、他人との関係をマイナスにしておいては、ドアを閉じた状態ですから 「いいこと」 は起こってきません。
「いいこと」は、他者との関係から起こるのです。昔から、いつも多くさんのお客さんが来る家は、幸せも訪れると言われます。同じことなのでしょうね。
心はいつもプラス (嬉しい・楽しいなど) の状態にしておくこと。なぜなら、心の状態そっくりに、現実をつくるという法則があるからです。
他人に対しても心 (大切に思う) と、行動 (手助けをする) の面で、プラスにしておかねばなりません。
自他ともに、常にプラスの状態にしておくと、 「いいこと」 が起こります。
Posted by 中川知博 at
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