2025年03月17日
あなたは都会派か田舎派か
サラリーマンが定年退職後、田舎に住むことが夢と思う人は多い。定年を待たずに、実行する人もいる。この人たちを歓迎する町村は、家や土地を提供して、積極的に受入れ準備をし、PRしている。
私は、どちらかと言えば、都会派である。現在住んでいるところが田舎であるからかも知れない。
田舎のよさは、第一自然の環境にめぐまれ、空気はおいしく、川の水はきれいで、人口が少ない分ゆったりしている。
それなの私は、月に一度は肩触れ合う雑路に出掛けたい。東京のアメ横や京都の錦市場は大好きです。そして、何といっても文化にすぐ浸ることができる。いわゆる芸術鑑賞である。
「田舎暮しは楽ではありません」という文章が目についた。まず第一に、都会で得られるほどの収入は期待できなくなる。パートに出ようにも、働くところがない。
野菜やお米は自給自足でと思うが、これは大変な作業です。食べたい野菜がすべて作れるわけではありません。一円もかからないわけでもなく、収穫期を制御できません。実りの時期にはいっぱい採れて、そうでない時は乏しくなります。
肉や魚は、100%買うことになり、お金はかかります。いつもお金のことを考えて生活することになるのです。だから私は、田舎にずっと住みたくないいのです。
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2025年03月03日
新4K
今、世間では新3K生活術というものがあると聞きました。「ケチで、賢く、カッコよく」 生活するものが、もてはやされているそうです。ひと頃のブランド志向の熱も冷め、実質志向に回帰し、ものをいかに賢く活用するか、そしてやぼったくなく、スマートに生活することに意味がもたれているようです。
それにあえて加えて、「聞く」 という態度を取り入れて、新4Kとしてみてはいかがでしょう。
人の話をじっくり聞くということは、忍耐もいり、確かに苦しいことです。それよりも、ユーモアがあり話題豊富な話し上手で、人を楽しませる方がよほどカッコいいかも知れません。
けれども、話をしている最中に、相手から話の腰を折られ、イヤな思いを体験したことは一度や二度はあるでしょう。ましてや話し上手な人や、押しの強い人は、なおさら「人の話を聞かない」傾向にあります。
聞くことによって、相手の満足は得られます。相手の話を聞くことも、一つの大きな思いやりといえるでしょう。
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08:00
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2025年02月17日
老若の共生
新聞の投稿欄に、あるお年寄りが次のように語っていた。
「自分は年をとり老いていくことを、それほどつらく、悲しいと思ったことはない。けれども同じ町内の若者とすれ違っても、会釈一つせず、通り過ぎていく時、何ともいえない寂しさと、悲しさにおそわれる」
お年寄りが自分の存在を無視された時、生きる意欲をなくしていくという現実を、私たちはまず気づきたいものです。自分の両親が老いても、親子の絆がものをいい、ある程度敬愛の情を失わないでいられます。
さて自分の親以外のお年寄りに対して、どのような視点を持っているのでしょうか。ことに、お年寄りは、若い人との接触に敏感に反応するものです。
最近町角で、学校帰りの生徒を出迎えるようになりました。そのほとんどが、お年寄りの方々です。その様子を見ていて気になったことは、声は掛けておられるが笑顔がないことです。
年を寄ると、なぜ笑顔が消えるのでしょう。お年寄りも反省することがあるように思えてなりません。
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2025年02月03日
贖罪国家日本 NO2
前回は、西欧国家の状況について述べましたが、日本の現状は、どうなっているのでしょう。
日本は戦後、フィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアに計4780億円を賠償し、韓国に対しては国交を回復するにあたって、当時の韓国の国家予算を上回る巨額の賠償金を支払いました。
一方、中国とは本来解決済みです。戦後直後、蒋介石は「恨みに報いるに、恨みをもってせず」の儒教の教えのもと、すべての請求を放棄したからです。ところが日中国交回復の際、田中角栄首相が賠償金の代わりに、経済援助を中国政府に申し出て、賠償金問題が事実上復活します。この30年間に、返す意志のない円借款として、その額は実に10兆円に及びます。
日本が、贖罪国家に転落する決定的な契機を作ったのは、鈴木善幸内閣でした。1982年の「教科書誤報事件」に端を発しています。当時宮沢喜一官房長官は、中国の内政干渉に屈して 「政府の責任において修正します」 と謝罪してしまったのです。
種をまいたのが宮沢なら、苗を育てたのが、細川内閣です。一国の最高責任者である細川首相が、大東亜戦争を侵略戦争と安易に認めてしまったのです。この瞬間に、国際社会は紛れもなく、侵略戦争になってしまったのです。
その後の各首相は、坂道を転げる雪だまのように、自虐史観が膨張していきます。特に、村山富市政権下で終戦50周年を機に、日本の戦争責任を認め、謝罪の使節団を派遣する始末で、マレーシアのマハティール首相や、フィリピンのラモス大統領から 「50年前の戦争を、なぜ詫びるのか。イギリスやアメリカは侵略しても詫びてこない」 とたしなめられ、失笑をかいました。
もはや、どの政治家も 「日本は侵略国家である」 と、疑わないという、恐るべき状況になっています。日本の借金は、約1千兆円に及びますが、世界から金づる日本への賠償の要求により、その額を試算すると丁度借金と同じ1千兆円に達すると言われています。
それ以上に、「日本は侵略国家」 であるという精神的なツケを、子々孫々まで残すことになるのです。その負の精神遺産が、今後どれだけ大きくのしかかってくるのか、思いが至らないのが、いまの日本の現状です。
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2025年01月20日
贖罪国家日本
戦後半世紀が過ぎ、この間私たち日本人が築いたのは、世界でも比類ない恐るべき無残な謝罪国家、贖罪国家、国益なき国家です。
贖罪とは、体刑に服する代わりに、財物を差し出して、罪過を許されることを言います。
靖国神社に首相が参拝すると、中韓両国からの非難の声に謝罪する。教科書の記述に抗議があるとまた謝罪。政治家が大東亜戦争に関して語ると、「侵略戦争に対する反省が足りない」と、近隣諸国から責められ、頭を下げる。戦後の日本と近隣諸国との関係は、謝罪の歴史といっても過言でありません。
国際社会では、国家が他国に謝罪するということは、常識外の愚行です。アングロサクソンの辞書には、「謝罪の文字」はありません。かつてアジアの国々に謝罪したことは一度もありません。かつてアジアは、西欧列強に植民地化されていました。しかし、アジアの国々に謝罪したことは一度もありません。インドネシアを350年にわたって植民地化し、奴隷同然に現地民を扱い、搾取を続けていたオランダは、独立戦争で劣勢になり、独立を認めざるを得なくなっても、賠償金を要求しました。これを泣く泣く受け入れました。侵略・搾取・略奪をほしいままにし、酷使したにもかかわらず、「反省」や「謝罪」はありません。
中韓は、事あるごとに日本に謝罪を求めます。しかし、韓国が過去に侵略された中国に対して、謝罪を求めたこともなければ、中国がイギリスに、謝罪を求めたことは一度もありません。
なぜ、どこの国も謝罪しないのか。日本では、謝罪は美徳で、謝ればすべて水に流され、わだかまりは解消されます。ところが、国際社会では全く違います。謝れば、たとえ悪くなくても賠償義務が生じます。
どこの国も、謝罪を要求されても、突っぱねます。ドイツ政府も、戦時中のユダヤ人大量虐殺やその他の悪徳行為も、すべてヒトラーのナチス政権の仕業だとし、政府は一切謝っていません。侵略した近隣諸国に、賠償金は一銭も払っていません。これが国際社会の現実なのです。
この続きは、次回にて。
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2025年01月06日
わが国には「戦犯者」など一人もいない
前回は、靖国神社に祀られている人について書きました。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は晴れて独立国に復帰しました。それと共に、戦犯とされた英霊たちの名誉回復が叫ばれ、戦犯釈放は国民運動として盛り上がりました。
その結果、1953年8月3日の衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択され、有罪判決を受けたすべての人々は、犯罪者とみなさないという基準が明確に打ち出された。その後、釈放され、恩給法や援護法の対象にもされています。東条英機をはじめ、戦争裁判で刑死・獄死した人も、法律上は「法務死」、すなわち公務による死亡として扱われています。
戦犯など、国内には誰一人としていません。それなのに、つい50数年前に国民の総意で決定した事項、いまだ戦犯の汚名を着せ、先人の尊い魂を貶めるマスコミ、政治家、知識人と称する人達よ。
その間違いを指摘すらせず、何の疑問も抱かない日本人よ。この国は、本当に異常としか言いようがありません。
そればかりか、近隣諸国の圧力に屈し、国立追悼慰霊施設の建設を進めようとしています。これぞ、思うツボです。もしこのような施設ができれば、中国人は心の底から、日本人を精神的に屈服させたと歓喜するでしょう。
靖国は、日本の歴史が凝縮された、日本人の魂の故郷です。先人の血と汗で築いた歴史、日本の精神まで破壊としているのです。
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2024年12月16日
正しい歴史認識を!!
日本の外交ベタは有名で、世界各国から笑いものにされています。その原因の一つは、政治家の歴史認識の甘さと、戦後、日本人の精神文化が骨抜きにされ、何一つとして芯の通ったまともな考え、答えを持っていないということに尽きます。いや、政治家だけでなく、日本人の大半の大人たちも、同じことが言えると思います。
正しい歴史認識が、いかに大切であるかということを、最近の話題に焦点を当て、見証して見たいと思います。その第一は、靖国神社問題についてです。
靖国神社に眠る人は、大東亜戦争の戦没者だけではありません。維新の志士を育てた吉田松陰、近代日本の礎となった坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作など、国事に尽くして倒れた人たちも祀られています。
この靖国神社へ日本の首相が参拝すると、必ず出てくるのが、「A級戦犯」を祭る社に、国を代表する者が参拝するのはけしからんという非難です。靖国問題を、外交の道具立てにしようと目論む近隣諸国が、「戦犯」うんぬんと抗議するのは、自国の利益になるので理解できる。もっとも、内政干渉という気がするが。
特に、マスコミ(一部の新聞社を除いて)、知識人と称する人、与党の政治家までもが、「戦犯」という言葉を使っていることです。これは歴史に対する無知、戦没者に対する冒瀆以外の何ものでもありません。
わが日本国内には「戦犯」など一人も存在しないからです。
「戦犯」というレッテルを貼ったのは、連合国による極東軍事裁判ですが、裁判とは名ばかりの、まったくでたらめな戦勝国による復讐劇です。東京裁判を開廷させたマッカーサーは、後に日本を侵略国として裁いたのは、間違いであったと認めているからです。
この続きは、次回にします。
Posted by 中川知博 at
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2024年12月02日
天皇は祭司
天皇制は存続すべきかどうかという事より、まず現在も連綿として歴代天皇が行っておられる日々のお仕事を見ればよくわかります。こうした事は、一部の人が知っているだけで、勿論学校でも教えないし、大人の国民の人々が知ろうとしないのが現状です。
これも産経新聞に連載中の石原慎太郎氏の「日本よ」を読むと、「天皇こそ、今日の世界に稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。・・・・・・現今の世界には他に例がない。さらにいえば天皇は神道の祭司に他ならない。」と記されている。
天皇のお仕事は、憲法で定められている国事行為(内閣総理大臣の任命、栄典の授与他7項目)、これらの事項に関する閣議決定の書類に署名・押印(年間約1000件以上)。公務と称する、新年一般参賀、国賓として来日した外国人の会見・接待、全国戦没者追悼式や全国植樹祭、天災地変の被災地への訪問による励まし、外国の訪問と、土曜、日曜もないほど多忙な毎日を送られています。
以上の他に、年間約20件の宮中祭祀を執り行われています。この宮中祭祀は、天皇が国民のために(ここが重要――我々がお正月お宮さんに参拝しますが、家内安全、商売繁盛、無病息災と自分のこと、わが家のことしか祈りませんでしょう)皇室の祖先である天照大神さんをはじめ、八百万の神々に、国家の安泰や五穀豊穣を祈願される儀式です。
1月1日に行われる四方拝について説明しましょう。朝も明けやらぬ5時頃より、神嘉殿南庭で、伊勢神宮、山稜、四方の神々を遥拝される。祭典を行い天皇が拝礼される小祭とがある。四方拝は大祭で、天皇お一人で行われる年中最初の行事です。
今上天皇は、ことの外昭和天皇にならい、厳格に心を込めて祭祀を執り行われています。
このようにして皇室が万世一系に続く最大の理由は、天照大神さまの慈悲の心(キリスト教では愛、仏教でも慈悲、儒教では仁)と、歴代天皇のご聖徳によるものです。
これも産経新聞に連載中の石原慎太郎氏の「日本よ」を読むと、「天皇こそ、今日の世界に稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。・・・・・・現今の世界には他に例がない。さらにいえば天皇は神道の祭司に他ならない。」と記されている。
天皇のお仕事は、憲法で定められている国事行為(内閣総理大臣の任命、栄典の授与他7項目)、これらの事項に関する閣議決定の書類に署名・押印(年間約1000件以上)。公務と称する、新年一般参賀、国賓として来日した外国人の会見・接待、全国戦没者追悼式や全国植樹祭、天災地変の被災地への訪問による励まし、外国の訪問と、土曜、日曜もないほど多忙な毎日を送られています。
以上の他に、年間約20件の宮中祭祀を執り行われています。この宮中祭祀は、天皇が国民のために(ここが重要――我々がお正月お宮さんに参拝しますが、家内安全、商売繁盛、無病息災と自分のこと、わが家のことしか祈りませんでしょう)皇室の祖先である天照大神さんをはじめ、八百万の神々に、国家の安泰や五穀豊穣を祈願される儀式です。
1月1日に行われる四方拝について説明しましょう。朝も明けやらぬ5時頃より、神嘉殿南庭で、伊勢神宮、山稜、四方の神々を遥拝される。祭典を行い天皇が拝礼される小祭とがある。四方拝は大祭で、天皇お一人で行われる年中最初の行事です。
今上天皇は、ことの外昭和天皇にならい、厳格に心を込めて祭祀を執り行われています。
このようにして皇室が万世一系に続く最大の理由は、天照大神さまの慈悲の心(キリスト教では愛、仏教でも慈悲、儒教では仁)と、歴代天皇のご聖徳によるものです。
Posted by 中川知博 at
08:00
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2024年11月18日
皇室典範改正 その2
「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーを見ると、よくもこんな人達を小泉首相は任命したものだと疑問に感じる。
頭から ”天皇制廃止” の専門家 (学者) が入っています。歴史の連続性を否定し、国家の連続性を断ち切ることで達成されるのが革命ですから、彼らは、ロシヤを始め西欧で起こった革命をいままさに日本で起こそうとしているのです。
歴史を繙(ひもと)くと、皇位継承には、これまでもさまざまな危機があった。だが、125代にわたり男系による継承が行われないことは一度もなかった。その一貫したルールゆえに、私たち国民は皇室を唯一特別な家系として仰ぎ見、権威を高めてきたのです。戦国時代の信長や家康を想像してください。その武力でならいつでも断絶をはかることは容易であったはずです。
日本の皇室は、外国の王室のように武力で国民を服従させたのではない。ここが日本のよき伝統尊重の文化であるのです。
さて、秋篠宮家の新宮を心待ちにするのだが、皇位継承を危惧する解決策に、戦後降下された宮家の復活が望まれる。幸いにも皇籍離脱された男子皇族26人の内、14人が健在だ。その子孫は34人、うち独身11人 (小学生以下が3人) おられる。皇籍復活こそ、最良の皇室典範改正に適している。
Posted by 中川知博 at
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2024年11月14日
皇室典範改正の問題点
皇室典範改正の問題点は、女性天皇、女系天皇を導入し、長子優先をはかろうとしていることです。有識者会議では、皇太子殿下のお子さん愛子さんを今後の天皇にしようと予定し、そうすれば国民の理解を得られると考えているのでしょう。
とんでもないことです。これでは、2000年以上続いている皇室継承の歴史が継絶し、皇室の伝統が消えてなくなります。
そもそも女性天皇・女系天皇の違いもわかっていないし、大切なことは、天皇が男性か女性かではなく、男系の血筋を引かれているかどうかということです。
わが皇室は男系の血筋をたどっていけば、歴代天皇そして神武天皇、神話の世界の天照大神さまにさかのぼるという、世界に類例のない家系を誇っています。これを万世一系といいます。
遺伝学で説明しましょう。男性の染色体はXYです。女性はXXです。その夫婦に生まれる子供で男子はXY、女性はXXです。女性にY染色体が交わることはありません。愛子さんにご養子さんを迎えたらいいではないかという意見がありますが、残念ながらXY’ ですので、連綿として天照大神さんからの子孫、血のつながりにはならないのです。私たち一般庶民は、血の繋がっていない家系が普通です。
男性を種、女性を畑に喩えるとわかり易いと思います。稲の種は、どんな畑にまいても、生えてくるのは稲です。畑はどうかといえば、まく種によって、稗が生えたりセイタカアワダチソウが生えてきます。種には連続性のイメージがあるが、畑にはそれがありません。
こうしたことが、どうして2000年前にわかっていたのでしょう。その努力はやはり続けられていました。一つは、多くの宮家を作っておくこと。残念ながら昭和23年に秩父、高松、三笠の三直宮家を除いて、11宮家がGHQの手によって臣籍降下されてしまいました。第2に側室が置かれていました。昭和天皇からやめておあられます。
歴史の上では女性天皇は、確かに10人おられますが、いずれも男系で未亡人か独身の皇族女子でピンチヒッターの役目でしかありません。即位後に結婚されたり、出産されたことはありません。
とんでもないことです。これでは、2000年以上続いている皇室継承の歴史が継絶し、皇室の伝統が消えてなくなります。
そもそも女性天皇・女系天皇の違いもわかっていないし、大切なことは、天皇が男性か女性かではなく、男系の血筋を引かれているかどうかということです。
わが皇室は男系の血筋をたどっていけば、歴代天皇そして神武天皇、神話の世界の天照大神さまにさかのぼるという、世界に類例のない家系を誇っています。これを万世一系といいます。
遺伝学で説明しましょう。男性の染色体はXYです。女性はXXです。その夫婦に生まれる子供で男子はXY、女性はXXです。女性にY染色体が交わることはありません。愛子さんにご養子さんを迎えたらいいではないかという意見がありますが、残念ながらXY’ ですので、連綿として天照大神さんからの子孫、血のつながりにはならないのです。私たち一般庶民は、血の繋がっていない家系が普通です。
男性を種、女性を畑に喩えるとわかり易いと思います。稲の種は、どんな畑にまいても、生えてくるのは稲です。畑はどうかといえば、まく種によって、稗が生えたりセイタカアワダチソウが生えてきます。種には連続性のイメージがあるが、畑にはそれがありません。
こうしたことが、どうして2000年前にわかっていたのでしょう。その努力はやはり続けられていました。一つは、多くの宮家を作っておくこと。残念ながら昭和23年に秩父、高松、三笠の三直宮家を除いて、11宮家がGHQの手によって臣籍降下されてしまいました。第2に側室が置かれていました。昭和天皇からやめておあられます。
歴史の上では女性天皇は、確かに10人おられますが、いずれも男系で未亡人か独身の皇族女子でピンチヒッターの役目でしかありません。即位後に結婚されたり、出産されたことはありません。
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